2013年1月2日水曜日

また、前頭葉関係の本を2冊



今回ご紹介する本は2冊です。

脳を支配する前頭葉
人間らしさをもたらす脳の中枢



前頭葉は脳の社長さん? 意思決定とホムンクルス問題





「脳を支配する前頭葉」の方が、読みやすかった気がします。
「前頭葉は脳の社長さん?」のほうは、たまに出てくる冗談がキツイ時がありました。

両方の本、また、前回紹介した「前頭葉の謎を解く」とあわせて、やはり、という思いが強まりました。

すなわち、進化上ヒトより前に確立した種の脳、ヒトにおいても前頭葉とその関連部位を除く脳の部位(「古い」脳)が、主に入力系と出力系を結んで情報処理しているのに対して、前頭葉は脳の部位と部位をつないでいる、ということ。

大部分の大脳の部位は、「材料を生のまま塩をふって食べる、あるいは軽く炒めて食べる」ことや、決まったパターン認識を行う、のですが、前頭葉は違っているようです。
「下ごしらえした、あるいはそのままでも食べれる料理を、組み合わせてアレンジしてさらに調理して(直接食べずに)皿に盛り付ける、冷蔵庫で寝かせる」などのことをします。

前頭葉は、感覚器から得た情報と、情動の状態、空腹かどうか、あるいは目的として現在注目すべきものが何なのか、といった情報を組み合わせて、感覚器からの情報そのものを感じる度合いや意味を変化させてしまう。

前頭葉は、今触っているものが尖っていて痛いとか熱くていやだ、といった「現在の情報」だけではなく、それに加えて過去のあらゆる記憶、これから先の目的・計画(未来の記憶)も参照することができる。
前頭葉を除く「古い」皮質は基本的に現在の情報を処理するのみです。

頭の中で、欲しい物の形や色、手触り、味、匂い、といった感覚的なことのみならず、名称を表す文字列などの記号的なもの(抽象的な思考には欠かせない)をも思い浮かべ、色を変えてみたり、形を変えてみたりといった想像を働かせることができるのは前頭葉の働きによるものらしい。

さらに(私自身の考えというか予想というか、が入りますが)、エピソード記憶を作っているのも、前頭葉ではないかと、思います。ある日の出来事を覚えていたり、振り返ったり、という記憶を持つためには、物語の主人公として、起こったこと、行ったことを記録しておく必要があります。外界からの情報、自分が介入したことによる外界への影響、お腹のヘリ具合、四十肩の痛さといった体内情報、さらには自分の脳内でどんな比較や葛藤があったか(前頭葉にとっては外界からの情報と同意義)といったことをかいつまんで記録するためにも、前頭葉は最適な位置にあります。

この記録を以って自身の自由意志の発露だと考えている(勘違いしている)のが、今この記事を書いている、狭義の「私」です。

広義の「私」は、この記事を書いている間にも、呼吸を制御したり、腰が痛くならないように姿勢を変えてみたり、音楽を味わっていたり、ドライアイの痛みに耐えて目薬の在り処を思い出していたり、時刻を気にしていたり、「も」という文字を入力するために手指を動かしていたり、ということを並列で処理しています。

前頭葉はまた、観察している相手の意図を汲み取るためにも重要な役割を持っているようです。この機能と関連しているのが、道徳の概念だと思います。

発生時に、あと1回、たったの1回、前頭葉の神経の分裂が多くなれば、ヒトはもっと思いやりに溢れ、戦争しない生物になれる気がします。
その時には、個人の概念も変化するでしょうか。個人の利益の追求と、集団や種の、もっと広げて全ての存在における利益の追求は、ドコかで折り合いをつけているものですが、道徳観念が進化したヒトにとっての折り合い点は今とは異なっているでしょう。

なんだか脱線気味ですが、まあ、今回はこんなところで。





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