2008年2月24日日曜日

自分って、なんだろう

小さいころ、自分とはなんだろう
と、よく考えたものです。

大きくなるにつれて、
自分とまったく同じコピーを作ったら、
そいつもさっきまでの記憶や「存在しているという感覚」も持っているから
そいつも、そいつのことを指して「俺はここにいる」と言うだろう、とか
考えるようになって

どっちが本当の俺なのかという問題は、
その「そいつ」は、何から何まで元の俺と同じだから
周りの人にとっては、俺が重要視するほどには関心のないことだろうとか。

そうは言っても、その後オリジナルの俺が消えて
「そいつ」が残ったら、周りの人から見れば俺は生きてるのに、
「ああ、俺は生きてる」と今思っている俺は死んでるんだろうなぁ
とか、ね。


以下、台詞や言い回しは記憶だけで書いているため、
不正確です。ご了承ください。


銃夢 という漫画がある。
ちなみに がんむ と読む。

脳だけが生体であるサイボーグが主人公の話であるが
この漫画の中で
「徘徊できているからと言って生きていると勘違いしないで」というような
台詞とか
「自分で自分の行動をコントロールしている人はほどんどいない」というような内容とか
人は「自動機械」であるというようなこととか
「精神は肉体の奴隷」という言葉も登場する。

最近単行本になっているものには発見できないんだけど
昔読んだときには、
「脳みそなんかいらない、市民権をよこせ」といった台詞があった。

脳が機械に置き換えられていて、その他の器官がすべて生体である人々も出てくる。
機械(アンドロイド)の登場人物、実験により人為的に設計されたDNAを持つヒト、
いろいろ…




自分の行動を決定しているのは自分の表層意識か?別の器官か?とか
人間の定義って、なに?ということを考え直したくなる。


攻殻機動隊 という漫画がある。
アニメになっているものとは異なる方向に話が進んでいて(アニメが原作と異なる、というべきか?)
コンピュータプログラムである「人形使い」の「意識」というか「思念体」のようなものと
主人公が融合した後の主人公(複数形?)の話もある。

これも脳だけが生体であるサイボーグが主人公だ。

人形使いの台詞にも
「ヒトは自分の記憶を外部に保存できた時点で人間の定義をもっとしっかり考えておくべきだった」
というようなものがある。



進化というか存在することというか
より高確率に存在し続けるというか
「意思」と「魂」って同じだろうか、とか
そんなことを考えさせられる。


これらの漫画を目にして、そんな風に考えるのは
おかしいのかもしれないけど



マトリックス という映画を見た。
みたというより、映画3本とアニマトリックスの計4本のDVDを持っている。

アニマトリックスに面白い話があった。

ある小集団が、マシーンを捕獲する。
そのマシーンの「脳」に何かを接続し(独自のヴァーチャルワールドに接続するようだ)
(仲間にするつもりなのかもしれない)ているときに
登場人物がいう。
「(マシーンには)現実とヴァーチャルリアリティー世界の区別は付かないさ」というような内容

でも、俺は思った。それは、人間も同じなのではないか。
人間(正確には人間の表層意識)も、世界を直接見ているわけではない。
脳によって演算され、意味づけされ、理解しやすく都合よくゆがめられた計算結果を見ているだけだ。
つまり、初めから表層意識はヴァーチャルリアリティーの中にいる。
だから、もしものすごくよくできたヴァーチャルリアリティー世界に接続されたら
区別はできないはず。







表層意識が「俺はアイスクリームが食べたい」とか
「あの娘が好きだ」とか考えるより前に
すでに脳内の別の機能がそう決めていて、
自動的に体が動いていて、表層意識はそれを追認しているだけではないのか、
そう考えるようになっていた。



先日、どこで見たのか忘れたが、
ある書籍が紹介されているのを見て、早速読んでみた。

小さいころからの疑問、最近の自分の考えを裏付けてくれた
その本は
脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説/前野 隆司



私を私と思うこと自体も、脳内のモジュールの一つに過ぎず、
時系列に出来事を覚えるため前処理をしているだけである

心に強く「しあわせだなぁ」とか「悲しい…」と思うことは
記憶を呼び起こすためにタグ付けをしているだけである

すばらしい。
そう考えれば、脳内で起こっている全ての計算を全てを把握し掌握する必要はない。
(脳内の計算は複雑で膨大なので、むしろそんなことは初めから無理なんだけど)

また、脳内で処理されてはじめて感じるはずの指先の触覚の感覚を、
なぜ指先で感じているように思うのかというと、
脳が演算したその触覚を、デバイスである指先に投影しているのだ、という。

これは、俺が考えていた、「表層意識はヴァーチャルリアリティーの中にいる」という
考えと一致すると思う。

さらに、俺は、
目で見た情報と耳で聞いた情報が
同じ物体から得たものである時、
画像処理に必要な時間と、音声処理に必要な時間は異なるはずなのに
同時に見聞きしているように感じているのは、どちらか遅いほうに合わせて感じている、
つまり、気づいてないけど同時に見せられているだけであるということ、を考えていた。

この本には演算時間ではなく、演算する場所への信号の伝達に必要な時間の差として
記述されていた。


更に進めて考えると、見聞きした事象が発生した時点は、見聞きしたと認識した時点より過去であるはずだが
表層意識は 同時だと感じているのも、だまされているだけだと思う。全ての演算には、どんなに短いとしても
時間がかかるはずなのに、おかしい。


ずいぶんやかましく書いてしまった。
俺はすごいんだ、大学の先生と同じこと考えてたんだぜ、と言いたいのではなく
この本がすごい面白いから読んでみて欲しいと思ったのだが

プロの書評家ならここまで自分の想いを書かないよねぇ
読みにくくてすみません(というか読みに来るひと、いるんだろうか)
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